制作スタッフ


「Hihukushoラジオ」は、

広島陸軍被服支廠に熱い想いを抱く

市民有志4人の手によって

配信しています。

 

保存するのか解体するのか、

残すのなら活用はどうするのか、

幅広く深い議論をするための

土台作りを目指しています。



ナビゲーター

土屋 時子

 

 1948年生まれ。

 1971年4月~2009年3月、広島女学院大学図書館司書として勤務しながら劇団活動を行い、多数の舞台やCMに出演。2008年、同館に「栗原貞子記念平和文庫」を開設。2013年より広島文学資料保全の会・代表。

 詩人峠三吉(1917~1953)の半生をモチーフとした戯曲『河』が代表作である劇作家・演出家の土屋清(1930~1987)は夫。


《土屋時子 コメント》

 2019年12月、広島県は被服支廠の老朽化を理由に、「2棟解体、1棟の外観保存」案を打ち出しました。それから約1年半後の2021年5月、被服支廠全3棟耐震化の方針を固めたのです。従来の方針を転換し、解体から保存のための耐震化に向かったことは、何よりも市民の声が大きく広がり、様々な活動が展開された成果と言えるでしょう。国の重要文化財級の価値があると評されていますが、すでに正門他一部が壊されアルミ製の塀となっていることは残念でなりません。

 耐震化ももっと早くに出来なかったものかと思います。ともあれ、本当の意味で被服支廠が再生するためには、魅力ある利活用案が必須です。実現するその日迄、まだまだ私達も頑張ります。


メイン・パーソナリティ

瀬戸 麻由

 

 1991年生まれ。呉出身。

 シンガーソングライター。

 大学時代にピースボートに乗船し地球を3周。アイルランド留学中に作詞作曲を始め、沖縄や地元呉市など、地域に入り込んでは歌を作ってきた。

 現在は広島を拠点に、音楽活動のかたわら「Social Book Cafe ハチドリ舎」で広島と人と世界をつなぐ場作りに挑戦中。


《瀬戸麻由 コメント》

 被服支廠倉庫の佇まいに初めて触れた時、「ああ、広島は、ヒロシマで、廣島だったんだ」と、それまで原爆に紐づく部分でしか理解できていなかった広島の歴史を初めて多角的に考えられるようになりました。この建物の存在があるからこそ想像できる多くのことを、わたし自身も大切に噛み締めていきたいと思っています。

 被服支廠の今後を考える過渡期において、保存か解体かという二元論ではなく、多くの人がそれぞれの言葉で被服支廠を語ること・その言葉を残していくことの大切さを感じます。ラジオというかたちを通して、その役割の一片を担えたら幸いです。


サブ・パーソナリティ

高垣 慶太

 

 2002年生まれ。広島市出身。

 広島・長崎で原爆救護に携わった二人の曽祖父について知り、高校では新聞部記者として平和問題を担当。被爆建物「被服支廠」の保存問題を機に、同世代の知る・考える場作りを主体的に行ってきた。現在は東京の大学に通いつつ、核兵器廃絶に向けたキャンペーン等に励む。


《高垣慶太 コメント》

 被服支廠と出会って今年で4年。ラジオを通して、被服支廠についてさまざまな方とお話することができるこの場は、僕にとってとても大切です。原爆が投下された1945年8月6日以降の広島だけでなく、それ以前の陸軍と共にあった“廣島”の姿、広島と戦争の歴史をこれだけ教えてくれる場所はここ以外ないと思います。そして今や被服支廠は、単に広島の歴史を振り返るに留まらず、東日本大震災の震災遺構保存に取り組む人々や“記憶を後世に伝えていくには”という人類共通の課題に何らかのヒントを与えてくれる場所にもなりつつあります。今後展開されていく耐震化、利活用の議論はもちろん重要ですが、多様な問題と向き合う人々にとって、被服支廠とはどんな場所で、どんなメッセージを発する存在となっているのか、皆さんと一緒に対話を重ねていきたいと思います。


編集 / 音楽

河口 悠介

 

 1996年9月20日生まれ。佐賀県有田町出身。 

 2019年3月、エリザベト音楽大学コントラバス専攻卒業。

 

  エリザベト音楽大学の創立に、原爆投下が深く関係していることから「音楽で平和を伝えることが自分の使命だ」と感じるようになり、平和活動を始める。

 現在、カクワカ広島メンバー、平和を願うヒロシマ若者の会設立者、NPO法人PCV Peace Buddyメンバー、広島文学資料保全の会事務局次長。


《河口悠介 コメント》

 現在残っているものの中でも最大級の被爆建物である広島陸軍被服支廠。国内最古級の鉄筋コンクリートを用いた建物として、建築史上でもとても価値があり、建築物そのものとしてもレンガと鉄筋コンクリートを併用した、ほかに例のない貴重な建物です。同時に軍服や軍靴を製造・修繕・保管するということを通して戦争に加担したという意味では、広島の加害の歴史をも象徴する建物でもあります。

 Hihukushoラジオは、ラジオという形式を用いているからこそ、言葉1つ1つにより大きな重みが出ます。その力を使って、様々な立場の方から話を伺うことで、より幅広い意見を発信しているのです。100年以上もこの場所に建ち続け、軍都廣島として栄えていく過程から被爆地ヒロシマとして復興していく様子まで、広島の歴史を見守っている意味を考え、幅広く深い議論を行うための道しるべになればと思っています。